まだ潰瘍性大腸炎の名前すら知らなかった頃の話ですが、かなり大変だったので書いておきます。
※前回の話はこちら。
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IBD回顧録(第2話)
受験なんてどうでもよくなる下痢
僕の住んでいる地域では、1月に私立高校、3月に公立高校の入試が行われるのが例年のスケジュール。
急に体調が悪くなったのは、私立の受験を終え、本命である公立の試験準備に取りかかっていた時期でした。
段々と便が緩くなり、液体状の下痢に。腹痛もひどく、ごはんもまともに食べられなくなってしまいました。
母からは「受験のプレッシャーだろうから気を楽に」と言われましたが、勉強をやめて一日中布団でゴロゴロしていても改善なし。
それまで緊張でおなかを下した経験はなく、受験に落ちることより、得体の知れない下痢がいつまでも治らないのが恐怖でした。
一応、近所の内科で診てもらったものの、処方されたのは1週間分のビオフェルミン(整腸剤)だけ。
病院に行けば何とかしてくれるのではないかという淡い期待は、見事に打ち砕かれました。
ぎりぎりで希望の光が……
あまりにも体調がひどかったため、公立の入試は完全に諦めモード。
その時点ですでに私立高校の合格が分かっており、公立は受けられなくてもしょうがないかなと思っていました。
ところが、ビオフェルミンが遅れて効いてきたのか、ひたすら寝ていたのがよかったのか、本番3日前あたりになって、わずかながらおなかが安定。
まだ下痢ではあったけれど、トイレの回数は減り、ある程度は我慢がきくようになりました。
これは、いける……。
勉強はまともにできていませんでしたが、とりあえず「行って帰ってくる」ことだけを目標にして試験に臨むことにしました。
当日の朝は、不安げな顔をした母に見送られ、家を出発。
念のためにと持たされた「ストッパ(下痢止め)」をお守り代わりに、会場の高校へと向かいました。
その日はしとしと小雨が降っていて、とてもどんよりした気持ちでした。
本番中のことはあまり覚えていませんが、休憩の度にトイレに行っていたのは確か。
早く一日が終わることを祈って、黙々と問題を解いていった記憶があります。
苦労して受けた試験の結果は、無事合格。
入試前に限らず、日ごろからこつこつ真面目に勉強していたおかげで、何とか危機を乗り越えることができました。
受験より不安な卒業式
ある意味受験より気がかりだったのが、卒業式。
公立入試の後もおなかの不調は続いていて、長時間座りっぱなしの式典に参加するのは不安でたまりませんでした。
うちの両親は父と母どちらも行事を重要視しておらず、「きついなら休めば?」というスタンス。
僕自身も卒業式にそこまで思い入れはなかったので、無理せず欠席するつもりでした。
しかし、前日の予行練習を休んだところ、担任の先生から体調を気遣う電話が……。
とても悲しそうな声を聞いて、「これは申し訳ないな」と式への出席を決めました。
他人のことを本気で心配できるのは、教師として素晴らしい才能ですね。
翌日学校に行くと、長く休んでいたこともあり、たくさんのクラスメイトが「大丈夫?」と声をかけてくれました。
卒業式はトラブルなく終了し、自分の手で直接卒業証書を受け取ることに成功。
僕の中学生活は穏やかに幕を閉じました。
最後に先生や友達の顔も見れたし、卒業式には出て正解だったと思います。
さいごに
中学時代の同級生とは、現在誰とも連絡を取っていません。
一体みんなどんな大人になったのかな?
いつかふとしたきっかけで、友人たちの成長した姿を目にする日を楽しみにしています。
※追記
次の話を書きました。
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