【IBD回顧録】第5話 潰瘍性大腸炎を知った日。難病患者の自覚はまだない。

【IBD回顧録】第5話 潰瘍性大腸炎を知った日。難病患者の自覚はまだない。


今回は大腸内視鏡検査の本番編。

初めて受けた検査の記憶は、今でも全然薄れていません。


※前回の話はこちら
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【IBD回顧録】第4話 大腸内視鏡は準備が肝心。「腸をきれいにするお薬」との格闘。


IBD回顧録(第5話)

大腸カメラは痛くない?

事前の洗浄剤を乗り越え、いよいよ内視鏡検査へ。お尻の部分に穴が空いた検査着を着て、台の上に横になった。モニターは患者から見える位置にあり、検査を受けながら自分でも腸の様子を確認できるようになっていた。

腸にカメラを入れるのは初めてで緊張したが、先生は「上手くやるので安心してください」と余裕の表情。多少の気持ち悪さや突っ張る感覚はあっても、そんなに痛くはないとのことだった。

しかし、やはり現実は甘くない。カメラを挿入されてすぐ、強烈な痛みに襲われた。

カメラが動くたび、ナイフで肉をえぐられるような痛みが走る。あまりの激痛に、何度もうめき声を上げた。溢れ出る涙は看護師さんがそっと拭いてくれた。

「あー、ここにも炎症がありますね」

病変を見つけるたび先生が教えてくれたが、細かい話は頭に入ってこない。苦痛に悶えながら、ただひたすらモニターだけを凝視していた。映像から、とりあえず至るところが赤く腫れたり、ただれたりしているのはわかる。これだけ悲惨な状態なら、食べ物でもカメラでも、異物が通過して痛いのは当然だろうと思った。

「もう少しですよ。頑張って」

やけに「もう少し」が長かった気がするが、看護師さんに励まされつつ、検査は無事に終了した。

初体験の大腸内視鏡は、漏らしたり泣いたり、情けない姿をさらす結果となった。

潰瘍性大腸炎との出会い

内視鏡の後、採血を行い、そのまますぐ先生の問診を受けた。

先生の見立ては「潰瘍性大腸炎」。確実な診断は生検(内視鏡の際に切り取った組織を調べる)の結果を待たないといけないが、まず間違いないとのこと。

潰瘍性大腸炎について、先生から教えられたのは、以下のような点だった。

・大腸に潰瘍やびらんができる
・指定難病の一つ
・繊維のきついものや刺激物はNG
・安倍首相も同じ病気
・最近いい薬ができた


潰瘍性大腸炎は初めて聞く病気だったので、いきなり「難病」と言われてもピンとこなかった。ただ率直に「症状そのままで痛々しい名前の病気だなあ」と思った。

「一応難病ですが、今は薬でコントロールできるので心配はいりません。しばらく大変かもしれませんけど、数年して振り返ったら、きっと笑い話になってますよ」

先生は頑張って元気づけようとしてくれたが、僕は自分の症状にはっきりとした病名がついただけでもうれしかった。子供のころからのおなかの不調も、潰瘍性大腸炎の兆候だと考えれば納得がいく。「病気になった」というより、ずっと悩まされていたもやもやの「正体がわかった」という感じ。難病とはいえ、病気であれば治しようもあるのではないかと、希望の光すら見えた気がした。

「安倍さんはもっとひどかったのに、見事に復活しましたからね」

先生は安倍首相に親しみがあるのか、しきりに安倍さんを例に出していた。ちょうどこの頃、安倍さんは2回目の内閣総理大臣に就任したばかりだった。潰瘍性大腸炎が、世間的に「安倍首相の病気」として認知されていることは、後になって知った。

先生の言う「いい薬」は「アサコール(5-ASA製剤の一つ)」のことだった。8割くらいの患者には効果があるらしい。併せて下痢に効く漢方を処方され、生検の結果が出る2週間後にまた病院にくることになった。

母も僕も、やっと事態が前に進んだ安心感とともに家路についた。「難病」と告げられた悲愴感は、この時点では全くなかった。


※第5話はここまで。続きは次回!


さいごに

なぜかわかりませんが、当時の僕は家に帰っても潰瘍性大腸炎について全く調べようとしませんでした。

まだ自分用のパソコンもスマホも持っていなかった時代。家にパソコンはあったとはいえ、「検索」という行為が習慣として身についていなかったのかもしれません。(パソコンはネットがめちゃくちゃ遅く、内蔵のゲームばかりしてました)

そういう患者にとって、病気に関する知識は病院で得た情報がすべてなので、お医者さんや看護師さんは責任重大だなと思います。


※追記
次の話を書きました。
 ↓
【IBD回顧録】第6話 試練の2週間を越え潰瘍性大腸炎確定へ。アサコールの次の一手は?


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