【IBD回顧録】第6話 試練の2週間を越え潰瘍性大腸炎確定へ。アサコールの次の一手は?

【IBD回顧録】第6話 試練の2週間を越え潰瘍性大腸炎確定へ。アサコールの次の一手は?


今回は大腸内視鏡の生検の結果待ちの2週間の話。

アサコールには期待したけど……。


※前回の話はこちら
 ↓
【IBD回顧録】第5話 潰瘍性大腸炎を知った日。難病患者の自覚はまだない。


IBD回顧録(第6話)

アサコールの効果は……

大腸内視鏡の後、一時的には症状が軽くなった気がしたものの、長くは続かなかった。アサコールと漢方を飲んだ甲斐も虚しく、下痢や腹痛はじわじわひどくなり、ついには病院を受診する前より症状が悪化。座っているだけでもつらく、横になって時間をやり過ごした。何度もトイレに行きながら、早く次の病院の日がこないかと願っていた。

実は、後にアサコールが僕の体にとてつもなく合わないことが判明するのだか、このときは一緒に処方された漢方が効いていたのか、わかりやすい急な体調変化がなかった。いっそ初期の段階でもっと悲惨な状態になっていれば、より早く薬の影響に気づき、別の手を打てたのではないか、とも思う。結局、処方された薬は、アサコールも漢方も、全てきっちり飲んでしまった。

この期間、学校では期末試験があった。本当ならそんなもの休めばいいのに、僕は持ち前の優等生根性を発揮し、無理やりテストを受けに行った。「テストも学校もどうでもいい」と言いつつ、スパッと潔く捨てきれないのが、僕の残念なところである。

テストは問題とではなく、下痢との戦いに。便意をごまかすために問題を解くような状態で、間の休憩のたびにトイレに向かい、なんとか乗り切った。

久しぶりの学校では、クラスメイトたちから休んでいた理由を訊かれた。先生からは「体調不良」としか説明がなかったらしく、インフルエンザだのマイコプラズマだの、いろいろな憶測が飛び交っていた。

僕はとりあえず「消化器系の病気」と言って、お茶を濁した。受験シーズンでみな感染症にはピリピリしていたので、伝染る病気ではないことは強調しておいた。幸い咳も鼻水も出ておらず、たぶん信じてもらえたと思う。

ショックだったのは、一部で僕が受験勉強のために授業を欠席しているという噂が流れていたことだ。試験のときしか出席しなかったのは事実で、そう思われても仕方ないけれど、ちょっぴり切ない。「仮病」どころか「難病」だったとは、最後まで誰にも言えず高校は卒業した。

潰瘍性大腸炎確定

内視鏡検査から2週間が経過し、再び病院に行った。

生検の結果を踏まえた診断は、やはり潰瘍性大腸炎。検査時からおそらくそうだと言われていたため、特に大きな驚きはなかった。しかし、薬を飲んでも全く治らなかった2週間で、病気の厄介さを実感。当初はそこまで深刻に捉えていなかった「難病」という言葉が、心に重くのしかかってきた。

アサコールと漢方では効果がなかったと伝えると、どちらの薬も即中止になった。代わりに処方されたのが「プレドニン」。いわゆる「ステロイド」というやつ(厳密には副腎皮質ホルモン)である。

ステロイドは効果が強力なぶん、長く使い続けることができない。最初に充分な量で一気に炎症を抑え込み、効果が出たら速やかに手を引くのが鉄則だ、と説明を受けた。具体的には、まずプレドニン6錠(30mg)から服用を始め、様子を見ながら1~2週間ごとに5錠、4錠……と少しずつ減らしていく。ステロイドは急に服用をやめると危険だから、自己判断での断薬は絶対しないように注意された。

副作用については、顔がふっくらする可能性がある、とだけ説明された。見てくれを気にしている場合ではなかったので、そこはどうでもよいと思った。

僕はステロイドになじみがなく、どれほどの威力を秘めているのか、一般的な薬と何が違うのか、先生の話をちゃんと理解していなかった。(本当は副作用もたくさんある)

プレドニンが、その後の人生で何度も頼る薬になるとは、このときはまだ知るよしもない。


※第6話はここまで。続きは次回!


さいごに

潰瘍性大腸炎で最初にお世話になった先生は、整腸剤の類を一切処方しませんでした。

同じ病気でも治療方針はお医者さんによって異なるので、もし別の病院を受診していたら、状況は大きく変わっていたかもしれません。

仮に僕自身が過去に戻れるなら、ミヤリサンとビタミンB群、亜鉛のサプリを処方します。(あくまで僕専用の組み合わせ)


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