怖くはないのにゾクッとする。今村夏子『あひる』を読んだ感想。

今村夏子さんの『あひる』を読んだ。

この本には3つの短編が収録されていたので、今回はそれぞれについて感想を書く。


※以下の感想にはネタバレを含みます。作品を未読の方はご注意ください。

この記事を書いている時点では、『あひる』はAmazonのKindle Unlimitedで読み放題の対象になっています。(2023年8月30日時点)

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感想・レビュー

あひる

子どもは時として予想外の行動をとり、周囲の大人たちの心に打撲痕のような鈍く消えにくいダメージを残す。

「あひる」では、そうした子どもと大人の不協和音が淡々とした筆致で拾い上げられていた。

誕生日会に誰も来ない。思いやりでついた優しい嘘を、嫌なタイミングで指摘する。常識外れの時間に訪問し、自分勝手に帰っていく。

子どもは気づいていないけれど、無垢な残酷さや不可解さに、大人は深く傷ついている。

子どもたちが思っている以上に、大人は弱い。


語り手は仕事のために早く資格を取りたいといいつつ、本心では働きたくないんじゃないかと思う。なんとなく今の生活に安住している気持ちが文章から伝わってくる。

両親は口数が少ないとき宗教関係のことをぼそっと言うだけという描写からは、同じ作者の『星の子』の匂いがした。

語り手は生まれたばかりの甥の写真を何千回も見ていて、意外にも子ども好きな様子。

子どもたちの世話を焼く両親を傍から冷静に観察しているようでいて、自分もしっかりその血を受け継いでいるのが面白い。

おばあちゃんの家

認知症で徘徊を始めたおばあちゃんの姿が、子どもたちの目からは「元気になった」ように見える。きっと、自らの年齢を忘れて、知らず知らずのうちに働いていた抑制が消え去ったのだろう。

認知症になると童心に返るというが、自分が若いと疑いなく信じることができれば、体もある程度はついてきてくれるのかもしれない。


僕には認知症の身内がいないので、患者の家族がどれくらい大変なのかわからない。他界した祖母や叔父も、最後までぼけることなく死んでいった。

ただ、すでに高齢の両親が、近い将来認知症になる可能性は高い。夜中に起きてアイスを食べ、朝には忘れている父が、本格的にぼけたらどうなるのか、とても不安だ。

作中では、ぼけたおばあちゃんが勝手に主人公の家に上がり込み、冷蔵庫を物色する。たぶん昔から同じことをしていて、主人公が迷子になって自宅に電話をしたときも、こっそり家に侵入していたに違いない。足が悪いというのも本当なのか、非常に怪しい。

患者本人に自覚があるのか不明だけれど、認知症になって嘘がつけなくなるのは怖い。過去に冒した罪が、どんなタイミングで白日の下に晒されるかわからない。バレて困る秘密を作らないように、今のうちから正直に生きていこう。

森の兄妹

「森の兄妹」のモリオとモリコは「おばあちゃんの家」に出てくるみのりとおばあちゃんと同じ町に住んでいる。

同じ本に収録されている短編なのだから、それくらいの趣向が凝らされていてもおかしくはないのに、なぜかびっくりしてしまった。

登場人物の名前の傾向が違い過ぎて、完全に油断していた。

といっても、別にアッと驚くような鮮やかな伏線回収があるわけではない。

ただおばあちゃんの「ぼくちゃん」という呼びかけの相手が誰なのか明らかになったくらいで、裏で遺言を渡していたりとか一緒に出掛けていたりとかいったダイナミックな展開はない。

それでも、単に世界がつながっているというだけで、不思議と幸せな気持ちになれるから、小説は面白い。


モリオがおばあちゃんに会いに行かなくなったのは、彼女に誕生日を祝ってくれるような家族がいると知ったからだろうか?それとも、モリオ自身がお母さんの優しさに触れたからだろうか?

孔雀だと思った鳥が実はキジだったように、特別な存在だったおばあちゃんも神秘性が失われ、ただの他人に戻ってしまったのかもしれない。

最後の行で、鳥の名前を「キジ」ではなく「孔雀」と書いてあるのが興味深い。


さいごに

上記の感想を書き終えてから西崎さんの解説を読み、そんな解釈もあるのかと感心した。

あひるがシステムの象徴だとか、そんな深い読みを僕はしていない。

作品から何を感じるかは人それぞれ自由だと思うので、これからも自分のスタイルで読書を楽しんでいきたい。


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