Audible(オーディブル)の「柳瀬博一のリベラルアーツ入門」で伊藤亜紗さんのインタビューを聴きました。
「アート×ビジネス」という括りですが、話はだいぶ違う方向に。
「障がい者」とか「多様性」とか、言葉の使い方は難しいなあ……。
「美学」という学問
ゲストの伊藤さんの専門は「美学」。名前からはつい芸術作品を研究する学問を想像しますが、着目するのは作品自体ではなく、それを鑑賞する人間の感性だそうです。
見る側を対象にして「なぜ美しいと感じるのか」を考えるのは、普通とは視点が違って興味深いですよね。
さらに、伊藤さんが取り組んでいるテーマが、障がい者の感覚だというのがまた面白いところ。
デリケートな問題なので取材にも気を遣って大変そうですが、言葉にしづらい「主観」を解き明かしていくのはエキサイティングな仕事だと思います。
学問って自由なんだなと、伊藤さんのフットワークの軽さに感心しました。
目の見えない人は世界をどう見ているのか
対談の中では、伊藤さんの著書である『目の見えない人は世界をどう見ているのか』が紹介されていました。
これ、Amazonの「ほしいものリスト」に入れっぱなしにしていて、まだ読んでないんですよね……。
取り上げられていたエピソードを聴くと、やっぱり非常に面白そう。
うん、買おう。
個人的に気になるのは、生まれつき目の見えない人が、「色」という概念をどうとらえているのか。
この本に答えが書かれているかは不明ですが、長年の疑問に対する手掛かりが少しでも得られたらうれしいです。
ちなみに、僕はかなり視力が低いのですが、メガネをかけないと生活できない状態は、どう考えても「障がい」だという気がします。
野生では生き延びられなくても、現代社会では文明の利器のおかげでなんとか「健常者」の範囲に収まっているので助かってます。
「多様性」に潜む危険性
インタビューの終わりで伊藤さんが提唱していた「アンチ多様性」論には、僕も共感しました。
たしかに、「多様性を受け入れよう!」と働きかけると、障害を持った人は「障がい者」としてラベリングされて、かえって生きづらくなりかねません。
今まで「多様性」という言葉にどこか違和感を覚えていたのですが、その理由がなんとなくわかりました。
たとえば、もし仮にクローン病の僕が難病患者枠で就職したら、職場では「クローン病の○○さん」として認識されるでしょう。
同様に、多様性を認める仕組みは下手をすると、人々の「障がい者」や「LGBT」といったマイノリティーな側面を無駄に強調してしまう危険があります。
伊藤さんのおっしゃるように、「社会の中の多様性」よりもっと「個人の中の多様性」に目を向けることが大切だと思います。
さいごに
伊藤さんの話を聞いて、自分の感性は人と違って当然だよなと、救われた気持ちになりました。
「しゃべれるほうが、変。」っていうのは最高ですね。
体の機能も世界観も、人それぞれバラバラなんだということを、ちゃんと意識しておきたいです。