人間関係にメリハリをつけて生きる。蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』を読んだ感想。

蛭子能収さんの『ひとりぼっちを笑うな』を読んだ。

テレビだと「とぼけたおじさん」のイメージしかない蛭子さんだが、行動の裏には独自の哲学が貫かれており、僕なんかよりとても芯のしっかりした人物だった。

人を見かけで判断してはいけないとはいえ、蛭子さんを前にして警戒心を保つのは難しい。油断していた僕は、冒頭から語られる自身の理念へのこだわりの強さに不意打ちを食らってしまった。

一体、本業の漫画家としては、どんな作品を描いているのだろう?気にはなるけど、確かめるのはちょっと怖い。


蛭子さんの考え方の基本は、自分に正直に生きることと、他人に余計な干渉をしないこと。個性を尊重する姿勢は多様性に対する深い理解に根差していて、批判を受けつつも半世紀以上ぶれずに実践してきた彼の言葉には説得力があった。

近ごろは「自分らしく生きる」ことを多くの人が理想として掲げている一方で、それでは社会が回らないと協調性の大切さを主張する人もいる。どう折り合いをつけていくべきか、蛭子さんの生き方は一つのヒントになるだろう。


本人も認めている通り、蛭子さんの言葉には矛盾している部分があるし、社会人としてマナー違反ではないかと感じる言動もある。でも、そうした「許せない」ところを無視せず立ち止まって考えることで、自分自身の価値観が明確になっていくのだと思う。

どこか抜けている蛭子さんの文章を読んでいると、世間と自分との感覚のずれも見えてくる。(厳密に言うと文章自体は取材をもとにしてライターさんが書いている)

内向的な人間の生きる道

奥さんについての話では、蛭子さんの新たな一面を知ることができた。

前の奥さんが亡くなって何日も涙が止まらなかったというのは意外だったが、その後すぐに再婚に向けて精力的に動き出したのにはもっと驚いた。本書のタイトルは「ひとりぼっちを笑うな」だけれど、さすがの蛭子さんも完全な「一人」はダメみたいだ。

「なんだよ、話が違うじゃないか」と一瞬裏切られた気持ちになった。しかし、よくよく振り返ると、僕も実家暮らしで家族と一緒に生活しているからこそ、友達がいなくても平常心を保っていられる気がする。果たして、親きょうだいがいなかったら自分だけの寂しさに耐えられるのか、自信がない。

蛭子さんは「愛する人がいれば本当の孤独はない」と述べている。もしかすると彼の他人に対する感情の薄さは、奥さんへの愛が大きすぎるゆえなのかもしれない。


いわゆる「内向型」の人間は人と積極的にコミュニケーションを取るのが苦手とされるが、裏を返せば、人間関係にメリハリをつけるのが得意、ともいえる。それなら、無理に人付き合いを頑張るより、身近な人に集中して心を傾けるのが、合理的で自然な生き方だろう。

蛭子さんの考えはあまりに極端で、おいそれとは真似できないけれど、「ひとりぼっち」が学べることはたくさんある。まずは、個性を受け入れ、自己肯定感を持って生きること。たとえ不器用でも、幸せになれる道はきっとある。