「統計に騙されるな」と、統計に対する不信感を煽る本はたくさんあるが、そこから一歩進んで、「じゃあ、統計に価値を見出すにはどうすればよいか?」というのが、この本の主旨である。近ごろ科学不信に陥って思考停止しかけていた僕の心を見透かしたような内容だった。
今回の記事では、紹介されていた11のルール(ルール1~10、Golden Rule)のうち、気になったところについて感想を書く。(要約や解説ではなく、あくまで僕の「感想」なので、その点ご留意いただきたい)
Tim Harford (著) The Bridge Street Press 2020/9/17
各章の感想
ルール1
感情によって情報を見誤ることは日常生活でもよくある。難病患者として今まで度々失敗してきたのが、病気の治し方について。どうにかして治したいという願望から無意識に都合のいい情報を集め、断食やサプリメントなど極端な健康法に走って痛い目を見ることが多々あった。自覚したからといって排除できない感情によるバイアスは、食べ物の好き嫌いに似ている。ピーマンが嫌いな人は、自分がピーマンが嫌いだと自覚したとしても、ピーマンを好きになれるわけではない。人間が偏見から逃れられないのは残念な事実だが、無理して中立を装うよりも、自分が偏見にまみれていることを直視する方が、よほど健全な態度だと思う。
フェルメールの贋作についてのエピソードは何度も同じような話が繰り返されくどかった。せっかく後の章が面白いのに、第1章目から読者が脱落してしまうのではないかと、いらぬ心配をしてしまう。
ルール5
選択肢が多くなるほど人は行動を起こさなくなることを示した「ジャムの実験」が再現性に乏しいというのはショックだった。この実験はメンタリストDaiGoの『自分を操る超集中力』で紹介されていて、自分の中でも腑に落ちていた。機会があれば、蘊蓄として他人に披露していたかもしれないと思うと恐ろしい。加えて、Daniel KahnemanのThinking, Fast and Slowのプライミングの実験もあまり再現性がないらしい。こちらに関しては、僕も「本当か?」とやや懐疑的だったが、ベストセラー本で取り上げられている実験なので、きちんと検証はなされていると思っていた。著者が有名なぶん裏切られた気がして、驚きも大きかった。
どちらの実験も、実験者や紹介者に悪意があったわけではないのがかえって怖い。善良な研究者による「たまたま」の実験エラーは、意図的な不正より厄介だ。心理学や行動経済学の分野の実験でも、第3者による再現実験がなされているかは注意して見ていきたい。
「生存者バイアス」は、自分を周囲の同年代と比べて落ち込んだときに思い出すとよいと思う。辺りを見回せば仕事も私生活も順調そうな人ばかりだが、今の自分の年齢になる前に亡くなってしまった「同年代」も大勢いる。自分がまだ「生存者」であることに考えが至れば、少しは前向きな気持ちになれるのではないだろうか。
ルール7
Googleのインフルエンザ流行予測が冬予測と化していたのは笑った。常識を無視して最短経路で答えにたどり着こうとするのは、『特等添乗員αの難事件』のラテラルシンキングと同じ。AIの場合、それが単なる閃きではなく、大量のサンプルデータを元にした機械学習の帰結だというのが、特筆すべき点である。ただ、アルゴリズムが人間の論理にとらわれないのは頼もしいとはいえ、ある程度は「手段を選ばせる」必要があるだろう。Charles DuhiggのThe Power of Habitで出てきた「妊婦向けクーポン」のエピソードが取り上げられていたのは懐かしかった。昔読んだときは、文句を言ってきた父親の目ざとさが異常だな、と思っただけだったが、たしかに著者の指摘通り、そもそも店側が謝る必然性はなかったのかもしれない。アルゴリズムがブラックボックス化してしまうと、万が一のときうまく立ち回れない。便利さに甘えず、仕組みを知る努力をすべきである。
ルール9
注釈で言及されていた日本のフィリップ曲線(Phillips curve)を調べてみたら、本当に日本みたいな形だった。まあ、だから何って話なのだけれど。日本列島は右肩上がりの形をしているから、正の相関を示す散布図を描けば、似たような現象は割りと起こり得ると思う。こんなしょうもないところで注目を浴びているのが、なんだかとても日本らしい。ナイチンゲールの"rose Diagram"(バラ形のチャート)は、非常にわかりやすかった。棒グラフと比べて伝えたいことが一目瞭然で、グラフ選択の的確さに唸る。データサイエンティストとしての姿がかっこよすぎて、ナイチンゲールのイメージが大きく変わった。「クリミアの天使」は、統計を武器に戦う知的な戦士でもあった。
ルール10
おそらくAdam GrantのThink Again(まだ読んでない)でより詳しく解説されているであろう内容。うまくいかなければ考えを改めるというのは、簡単そうで難しい。しかし、散々思い悩んで下した決断でも、後から振り返るとそれ以外考えられない当然の選択だったと思う場合がほとんど。追い詰められたときほど、積極的に方針転換を検討したい。274ページの「If.」という一文は、文章技法として秀逸。一瞬の戸惑いの後に著者の意図がわかり、パズルが解けたときのような快感が訪れた。シンプルな単語ひとつで多様な意味を表せるのが、英語の奥深いところ。いつか自分でも使ってみたい英語表現である。
全体としての感想
統計データに接する際に意識すべき「ルール」自体は平凡だったが、その掘り下げ方が面白かった。単に事例を並べ立てるだけでなく、それぞれに批判的な考察を加えている点に好感がもてる。丹念な解説を冗長ととるか丁寧ととるかは、読者によって意見が別れるところだろう。個人的に序盤はややくどい印象だったけれど、知っている本や実験が出てきてから一気に引き込まれた。昔の友達に偶然出会えたみたいでつい興奮してしまう。
英語学習的な観点からいうと、単語はかなり難しかった。冗談でなく、辞書を1000回は引いている。「英語多読に辞書は使わない」みたいな方針の人が読み通すには、相当な経験値が必要だと思われる。
わからない単語を辞書で調べると、literaryとかformal、informalといった表示が付いているものばかりだった。知識層の文筆家は砕けた言葉とかしこまった言葉を織り交ぜて文章にリズムを作るのだなと感心したが、非ネイティブの英語学習者にはつらい。最後まで読み切れたのは、ひとえに内容が面白かったからである。
さいごに
現代のスマホ社会において危惧すべきなのは、統計データを誤って解釈することよりも、その誤った解釈を他人に拡散することである。たとえTwitterのリツイート程度であっても、情報の受け手から発信者になる責任は重い。
本書の「ルール」を毎回意識するのは大変だが、それくらいの慎重さをもって、情報の信頼性を見極めていこう。
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