不健康寿命の過ごし方。健康寿命と寿命のギャップをどう生きるか。

元気な高齢者が増えているというニュースをよく見る。しかし、実際には高齢者全体の数が増加しているだけで、みんながみんな健康なわけではない。「元気な高齢者」と同様、「元気じゃない高齢者」も確実に増えている。彼らは「健康寿命」と「寿命」のギャップ、すなわち「不健康寿命」を生きている。

僕の場合、持病のクローン病は難病だから、この先完治する可能性は低い。仮に症状が治まったとしても、狭くなった腸や食道が元に戻ることはないだろう。また、闘病生活の過程で弱りきった歯や下がりまくった視力も、酷くなることはあっても改善する見込みは薄い。言葉の正確な定義は不明だが、自己申告制であれば現時点ですでに僕の健康寿命は終わっている。

そうなると考えるべきは、今後の不健康寿命をどう過ごしていくか。短めに見積もって60代で人生を終えるとしても、まだ30年以上ある。長い……。最近は若者でも老後の心配をしていると聞くが、そこまでたどり着く自分が想像できない。

まず不安なのはお金の問題だ。今は実家暮らしのおかげで半日勤務でも生活がなりたっているが、親が亡くなれば経済的に破綻する。だからといって無理してフルタイムで働けば、体調を崩すのは目に見えている。もうプライドなんてないので、最終的には生活保護でもしょうがないかな、と思っている。もちろんもらえればの話だが、なるようになるしかない。

お金に関してはどうしようもなさすぎて、事態を深刻にとらえられない自分がいる。これはある種の防衛本能だろうか?憲法で「健康で文化的な最低限度の生活」は保障されているから(健康はもう不可能だけど)、もしものときは国がなんとかしてくれる、はず。

何とか生活費を工面できたら、あとは時間の使い方。体調が不安定だとできることは限られるが、不健康だからこそ生きがいとなる趣味がないとつらい。

趣味としては、お絵描きが最強だというのが今の僕の結論。読書や英語学習も暇つぶしにはなるが、成長が感じられてかつ成果物が残るという点では絵に敵わない。本を読んだり英語の勉強をするのは有意義ではあっても、生み出されるものがないのが寂しい。絵なら人に見せられるし、自分で眺めても楽しい。僕は絵が得意ではないけれど、なかなか上手くならないからこそ飽きもしない。下手は下手なりに多少は上達するので、たまに過去の絵を振り返って感慨に浸っている。

体調に波があると、余暇の時間を人と過ごすのが厳しくなる。症状が悪化して予定をキャンセルしたら迷惑だし、相手に合わせようと無理して体を壊しては余計に心配をかける。また、僕は元々人付き合いが苦手だが、クローン病だと飲食絡みの誘いを断らざるをえないので、より一層コミュニケーションのきっかけを作りづらい。結果、今の僕のスマホに登録されている連絡先は家族と職場のみ。プライベートで人脈を築くことはとっくに諦めている。健康だったらもっと人恋しく感じるのかもしれないが、不健康だと一人が気楽。趣味も一人で楽しめればそれでいいと思っている。

まとめると、僕の想定する不健康寿命の過ごし方は「慎ましい余生」といった感じになる。日中は無理のない範囲で仕事をし、余った時間は読書やお絵描き。食事は必要最低限にとどめ、散歩とヨガを習慣にして、これ以上健康状態が悪化しないよう努める。定期的に病院に通い、万が一のときには家族や行政に助けを求める。

なんだか老人っぽい生活だが、僕の現在の生活がまさにこれである。淡々と穏やかに、残りの不健康寿命を過ごしていけるとうれしい。


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