しかし、数日前からきっぱりそれをやめている。
実は常々ですます調は窮屈だと感じていたのだが、ブログの雰囲気が壊れるのが怖くて、なかなか踏ん切りがつかなかった。
では、なぜ今さら文体を変えたのか。
今回は僕の中での心境の変化を記しておこうと思う。
ですます調は誰のため?
僕がブログで「ですます調」を使い始めたのは、ブログ初心者向けの本で「語りかけるように書く」ことが推奨されていたからだ。
見知らぬ人との会話をイメージして文章を書いていたら、自然と丁寧な言葉遣いになった。
また、ブログを開設した当初は、アフィリエイトを意識していたのも大きい。
人に何かを解説したり、商品をすすめたりする場合には、ですます調を使うと印象が柔らかくなり、受け入れてもらいやすい。
いずれにせよ、僕がですます調を選択したのは、他人に読まれるのを想定してのことだった。
しかし、ブログを続けていくうち、存在するかどうかも定かではない相手に向けて会話調で文章を書くのが、ひどく虚しく感じられるようになった。
そもそも、このブログの本来の目的は「人生の記録」。
一番の読者は未来の自分であって、わざわざ丁寧な口調を用いる必要はない。
むしろ、無駄な飾りを取り払ったシンプルなモノローグの方が、気持ちや情報を伝えるのにより適しているのではないか?
そう考えるに至り、僕はですます調を捨てた。
ですます調をやめると書くのが楽
ですます調から解放されてから、文章を書くのが一気に楽になった。
まだ数日しか経っていないが、記事作成にかかる時間が明らかに短くなり、感動している。
おそらく、ですます調で文章を書くのが大変な理由は以下の2つだ。
・語尾の選択肢が限られる
・書き言葉としてですます調に接する機会が少ない
まず1つ目は、実際に文章を書いてみればすぐわかる。
ですます調だと、文末のバリエーションが制限されるため、どうしても冗長でくどい印象になってしまうのだ。
無理して同じ語尾の繰り返しを避けようとすると、今度は話の流れや文のつながりが不自然になってくる。
ですます調でスラスラ読めるテンポのいい文章を書くのには、想像以上に高度な技術が要求される。
2つ目は、日ごろのインプットの問題。
新聞や小説でですます調が用いられることはまれで、参考とすべきサンプルに触れる機会は少ない。
当然、普段読み慣れていない文体であれば、自分で文章を作成するときのハードルも高くなる。
もちろん、池上彰さんのように紙媒体でもですます調を使いこなしている人はいるが、僕が読む本の中では圧倒的に少数派だ。
改めて考えてみると、ブログを書く人の中には、ですます調を使う人、使わない人がいて、それぞれわかりやすく面白い記事を書いている。
僕も一つの文体にこだわらず、いろいろ試して自分に合うスタイルを選べばよかったのだ。
もしかしたら、僕はずっと必要のない苦労をしていたのかもしれないと、ブログを始めて2年以上経過した今になって思う。
さいごに
ですます調をやめたことでアクセス数がどう変化するのか、正直少し不安はある。
けれど、文章を書くスピードは格段に速くなったので、更新頻度が上がり、ブログの内容が充実するのは間違いない。
自分にとってのブログの価値を高められるように、臆することなく記事を積み重ねていきたい。