主人公のまっすぐな言動が清々しい。知念実希人『祈りのカルテ』を読んだ感想。

知念実希人さんの『祈りのカルテ』を読んだ。知念さんの小説は本屋でよく見かけるものの、読んだのはこれが初めて。そこまで深い話ではなかったが、短編ということもあり非常に読みやすかった。

文章や構成がこなれていて、きっとどの作品を選んでもハズレはないんだろうなと思わせる安心感。随所に散りばめられている医学知識もすんなり頭に入ってきた。

知念 実希人 (著) 2021/2/25

※以下の感想にはネタバレを含みます。作品を未読の方はご注意ください。


各短編の感想

彼女が瞳を閉じる理由

事情を聞いたら実はDVだった、というのはドラマや小説だとありがちな展開だが、自分にパートナーがいないせいか、いまいち身近に感じられない。DVの被害者が加害者に依存して離れられなくなってしまうのも、直感的には理解し難い心理状態である。

英語だと、繰り返し暴言を吐いたり、怒声を浴びせたりして気を狂わせることを「gaslighting」というらしい。ちょうど『Scientific American』の10月号で取り上げられていたが、社会的な偏見も絡んでいて、なかなか複雑な内容だった。こんな問題ばかりに日々向き合って、正気を保っていられる精神科医はすごい。

悪性の境界線

テレビではがん保険のCMがやたらと流れているが、実際に加入している人はどれくらいいるのだろう。医療保険や生命保険ならまだしも、作中の近藤さんのように、お金がないのにがん保険にまで入るのは稀なケースだと思う。「入らされる」人は多いのかもしれないが……。

保険で厄介なのは、保険料をもらえる基準が細かく定められていることだ。特に癌の治療法はどんどん進歩するから、受けた治療が保険契約時には想定されておらず、保険料が支払われない、といったことが起きかねない。

保険は万が一のときのお金の不安をなくすためのものだが、保険に入るとかえって心配事が増えそうである。近藤さんみたいに、保険のせいで最善の治療を躊躇してしまうような事態は絶対に避けたい。

冷めない傷痕

熱傷治療に関する知識は勉強になった。火傷や放火と聞くと、どうしても京アニの事件を思い出してしまう。全身に火傷を負った容疑者を救うのは困難を極めただろうと思う。

僕が寝たきり状態で入院したときは、栄養失調でボロボロになった皮膚を診るため、皮膚科の先生が定期的に病室にやってきた。看護士と協力しながら、こまめに軟膏を塗ったり、ガーゼを張り替えたり。皮膚の組織が弱ると長期的にケアが必要になって大変なのだと実感した。自傷行為なんてありえない。

シンデレラの吐息

「怠薬」という言葉は初めて知った。僕も処方された薬を自己判断で飲まなかったことは過去に何度も経験がある。病院の先生から指摘を受けたことはないが、実はしっかりバレていて、怠薬の常習犯だと思われていたかもしれない。

喘息の症状は相当苦しいはずだから、発作を起こすためにわざと薬の服用を中止するのは勇気のいる行為だと思う。ただ、喘息も難病や生活習慣病と同じく、薬で根本的に治せるわけではない。長く治療を続けるうちに心折れてしまうことはありそうだ。長期にわたって服用する薬に関しては、患者がもう飲みたくないと思ったときに、躊躇せず医師に相談できる仕組みを作ってほしい。

胸に嘘を秘めて

数日前の新聞に、重い心臓病の子どもが臓器移植を受けるための募金を呼びかける記事が載っていた。手術を行うのはやはりアメリカ。円安の影響もあり、費用は5億円を超えるらしい。

ここまで金額が大きくなると、つい「命の値段」について考えてしまう。同じ金額を発展途上国の子どものために寄付すれば、より多くの命が救えるのではないか?たった1人に億単位のお金を使うなんて、費用対効果が悪すぎるのではないか?などと冷徹な考えが頭をよぎる。

もちろん、命の価値を単純に人数だけで計算することはできないから、お金をどう分配すべきかに絶対の正解はない。親ならいくらお金がかかろうと我が子の命を最優先で助けようとするだろうし、作中の四十住さんのように、未来の子どもたちを想って研究機関に投資するのもまた正しい選択だと思う。

いずれにせよ改善すべきなのは、日本での臓器提供の受けにくさ。臓器提供意思表示カード(ドナーカード)の記入は急ぎ義務化すべきだろう。本人の意思がはっきりわかれば、遺族の精神的な負担も軽くなる。


全体の感想

研修医の視点からいろんな科の仕事を覗き見できる構成が面白い。半端な医療知識では書けないし、病院の内部事情に精通した現役医師ならではの作品だと思う。

主人公の進む科が、最後の短編であっさり決まったのにはちょっと拍子抜けした。個人的にはもっと意外な選択をしてくるのかと予想していたが、凝ったミステリーの読み過ぎか?

捻りのない素直な決断は、患者に真っ直ぐ向き合う主人公らしいなと納得し、最後は清々しい気持ちで本を閉じた。


さいごに

『祈りのカルテ』は、たまたまKindle Unlimitedで読み放題になっていたのでダウンロードしてみたが、著者の文体は自分の感覚に合っていて読み心地がよかった。

次はぜひ長編で、知念さんの筆力を味わいたい。


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