ジョージ・オーウェル(George Orwell)『1984』を読んで感じる日々の記録の大切さ。

ジョージ・オーウェル(George Orwell)の『1984』を読んでいます。

主人公が生きているのは、極度に情報が統制された社会。

読んでいて感じるのは、記録することの大切さです。




頼りになるのは記憶と記録

物語では、体制に都合の悪い情報は、過去に遡って完全に書き換えられてしまいます。真実が残されているのは、人々の頭の中だけ。体制の方針に反する言葉を発すれば処分されてしまうため、互いの持つ情報を確かめ合うこともできません。自分の記憶が唯一の拠り所です。(主人公はひっそり日記をつけていますが、見つかれば即アウト)

現代の日本はそこまでの管理社会ではありません。しかし、不確かな情報が氾濫し、真実が見えにくくなっているのは似ています。さすがに過去の事実そのものが改ざんされることはないですが、それを記録したり伝えたりする視点、解釈には必ず誰かの意図が含まれます。

結局、信頼できるのは自分自身だけ。ただ、『1984』の世界と違って、現実では記録を残すことが許されているのが救いです。

もちろん、世の中のすべての事象を自らの手で記録することはできません。でも、過去を振り返ったときに、参照できる情報が他人任せの記録だけというのは、なんだか恐ろしくないでしょうか?

せめて自分の身の回りの出来事や体験、考えたことくらいは、書き残しておいてもよいと思います。


日々の記録の価値を見直す

僕は毎日ノートに食事記録を付けていて、そこに日記も書いています。

しかし、紙の記録は物理的にスペースを取るのが難点。以前引っ越しをした際には、約10年分の記録を泣く泣く処分しました。もったいない……。

その点、どんなにたくさん文章を書いても保管場所に困らないブログは偉大です。バックアップを取っているUSBメモリも手のひらサイズに収まります。(SNSでもいいかもしれないけど、プラットフォームが消えたら終わり)

一時期はチャットGPTのせいで「ブログを人の手で書く意味って……」とやる気が失せていましたが、逆に考えれば、AI記事やフェイクニュースでないと断言できるのは自分のブログだけ。広大なネットの海の中で、安心して上陸できる島みたいな存在です。

まあ、別にアナログでもデジタルでも、媒体は何でもいいですね。

日々の記録にはもっと真剣に向き合ってもいいのかな、と『1984』を読んで思い直したのでした。


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