【レビュー】高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』を読んだ感想

【レビュー】高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』を読んだ感想


高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を読みました。

薄い本なのに、インパクト抜群でした。




感想・レビュー

この作品の登場人物は大きく二谷・押尾サイドと芦川・藤・原田サイドに分かれると思う。文章は二谷・押尾目線で描かれているから、どうしてもそちらサイドの考えが常識的に感じるし、自分の感覚とも近い。しかし、本当に「正しい」のがどちらかと尋ねられると答えに窮する。そもそも「正しいだけじゃ社会は回らない」のが真っ当だと思っている時点で、僕らは「正しさ」の土俵で戦っても勝てるわけがない。

少し飛躍するけれど、芦川さんや藤さん、原田さんはきっと本を読まない人だと思う。たとえば原田さんがこの『おいしいごはんが食べられますように』を読んでいる姿は全く想像できない。ステレオタイプなキャラをかぶせられた彼らからは、本を読む人が習慣的に行っているであろう、他者の心の内を想像し自分を相対化して俯瞰的に見つめる思考が欠落しているように見える(少なくとも表面上は)。だからこそ、この小説を手に取っているようなタイプの人間にとって、彼らは異質だし、苛立たしさを通り越して怖くさえ感じるのではないかと思う。

芦川さんに関しては、その振る舞いがすべて計算ずくであったとしても、100%純粋な心の底からの言動であったとしても、どちらでも怖い。「深淵を見つめるとき、深淵もまたこちらを見つめている」というが、闇に包まれた芦原さんの心の中にも、二谷や押尾の本心を冷静に見透かす「目」が存在していてもおかしくない。どっちなのかわからないのがより一層恐ろしいが、どっちなのかわからせないことこそが彼女の最大の生存戦略である気もする。


さいごに

二谷が絶対に価値観の合わない芦原さんを拒絶するどころか、流れに任せて受け入れようとしている気持ちはなんとなく理解できます。

中途半端にわかり合うことがないからこそ、安心できるというか……。

複雑な心理を見事に物語に落とし込んでいる、これぞ芥川賞!な小説でした。


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