フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』を読みました。
ギャッツビーが最後まで報われなかったのは残念。
恋愛って切ないですね。
あらすじ・概要
ニューヨークのほとりに浮かぶ島、ウエストエッグの豪邸に住むギャッツビーには、ただ一つの目標があった。それは、かつての恋人、デイジーを取り戻すこと。
隣に引っ越してきたキャラウェイを通じてデイジーと再会を果たしたギャッツビーだが、彼女には夫も子供もいる。
互いの愛を信じて疑わないギャッツビーに対して、デイジーの出した答えとは……
感想・レビュー
ギャッツビーは憎めない男
最初は不快な奴だと思ったギャッツビーですが、話が進むにつれて、だんだんとかわいそうになってきました。
キャラウェイの「過去を繰り返すことはできない」という言葉に「できるに決まってるじゃないか!」と言い返す姿は、なんとも哀れ。
ずっと一人の女性のためにすべてを捧げてきたのに、死んだ後は見向きもされないなんて、ちょっとあんまりです。
もちろん、デイジーが自分以外好きになるはずがない、と決めつけているのはイライラしましたけどね。
彼女との再会の演出にこだわったり、機嫌を損ねまいと必死になったりする様子を見ると、ただ真面目で頭が固かっただけな気がします。
愚直すぎる言動は、はたから見ると滑稽。
でも、最後まで恋心を貫き、財を築き上げたのは「華麗」です。
デイジーは好きになれない
ギャッツビーの失敗は、おそらくデイジーが根っからのお嬢様だったこと。夫のトムは愛人までいて、まさに「嫌な金持ち」の典型として描かれていますが、デイジーも大差ないんじゃないんでしょうか?
恋愛感情の裏に、お金や地位がびっちりくっついている感じ。
無意識に利害を計算して動いていて、ギャッツビーの愛に見合うほど純粋な女性ではないように思います。
いやー、僕だったら、絶対避けるタイプですね。
まあ、そんなお嬢様とは、そもそもお近づきになれないか(笑)
また、気になったのが、デイジーの娘の登場シーンの少なさ。
夫婦の思い出話やケンカの際に全然話題に出てこなくて、違和感がありました。
対面したときも、なぜか名前を呼んでないし……
昔のお金持ちにとっては、子どもの世話は乳母に任せて、親はあまり一緒にいないのが当たり前なんですかね?
単に作者が重要視していないだけだとしたら、それはそれで悲しいなあ……
全体的に読みにくい
小説全体を通して、文章に独特な読みにくさを感じました。物語中、気まずい雰囲気の「ぎこちない会話」が度々ありましたが、本当にぎこちない……
話題の切り替え方が唐突で、受け答えはどこか不自然。
意図がわからない描写もあって、途中何度も詰まりました。
一応、解説で「必ずしも読みやすくはない」と書かれていたので、きっとそういう作品なんでしょう。
ちなみに、以前読んだ『老人と海』は、この作品と同じく小川高義さんが翻訳していましたが、そちらはスラスラ読めました。
原文が元から読みづらいせいで、訳が下手だと思われていたら気の毒です。
関連記事:ヘミングウェイ『老人と海』を読んだ感想。老人もカジキも海には勝てない。
さいごに
『華麗なるギャッツビー』は、最初洋書に挑戦しようとしましたが、結果的には日本語訳を読んで正解でした。英語だったら、たぶん途中で挫折してますね。
古典文学は難しい作品が多いので、背伸びせず翻訳で読むべきなのかもしれません。