AmazonのKindle Unlimitedで、J.K. Rowlingさんの『Harry Potter and the Prisoner of Azkaban』を読んだ。
現在、英語版でのシリーズ読破を試みており、やっと3巻目まで到達した。
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』は小学生の時に映画を見たはずなのだが、時間が巻き戻る話だということと、ディメンターの気味悪さしか覚えていなかった。
記憶がおぼろげだったおかげで、今回は新鮮な気持ちで楽しめた。
※注意
以下の感想にはネタバレを含みます。
動物人間の種明かしに驚き
この3巻目では、終盤で畳みかけるように伏線が回収され、驚きの連続だった。
気持ちいいくらい素直にびっくりできたので、映画を見た幼き日の自分の理解力の乏しさには感謝すべきかもしれない。
とくに衝撃的だったのは、ロンの相棒であるネズミのScabbersが、ハリーの両親を裏切った真犯人だったこと。
登場人物たちと同じく、僕も一瞬受け入れられず固まってしまった。
Scabbersにはそれなりに愛着があったのに、最初の1巻目からまんまと作者の術中に嵌まっていたわけである。
個人的には猫のCrookshanksの方が人間だと疑っていたのだが、見事なミスリードだった。
また、Marauder's Mapがハリーの父やSirius Blackたちによって作成されたというのも、完全に予想外。
そもそも4人が動物人間だったことすら最後まで気づかなかった。
反則的な地図の性能も、作ったのがこの豪華メンバーなら納得がいく。
改めて振り返ると、Peter Pettigrewだけ明らかに小物でめちゃくちゃ怪しい。
優秀な魔法使いである3人がずっとそばにいたのに、Voldemortの手先だとばれなかったのが奇跡だ。
ディメンターは文章でも不気味
英語の文章でどう表現されているのか気になっていたのが、ディメンター(Dementor)だ。
ディメンターはアズカバンの看守的な存在だが、おそらく子どもの頃の僕は森に住む悪霊か何かだと勘違いしていた。
それくらい、映画での映像は不気味でおぞましかった。
小説で読んでみると、やはりディメンターの描写は強烈。
顔や手足の様子を形容するのに、普通人体には用いないような英語表現が使われていて、知っている単語でもつい意味を調べ直してしまった。
どこから着想を得たのかわからないが、よくもまあこんな怪物を考え出したものだ。
なお、僕はディメンターがややトラウマ気味になっていて、もう一度「アズカバンの囚人」を映画で見るのをためらってしまう。
「秘密の部屋」での蜘蛛の大群もそうだが、ハリー・ポッターにはぞっとするようなシーンがちょくちょく出てくる。
海外の児童書は子ども向けでも刺激的な描写をサラッと放り込んでくるので、洋書を読むときは油断禁物だ。
洗練された時間旅行
ハリーとハーマイオニーがTime-Turnerを使って時間旅行をする部分は、物語の作りに矛盾や齟齬がなく素晴らしかった。
状況が変わっていることに気づかず過去に戻る、絶妙なすれ違いの仕方が、実にうまい。
印象的だったのは、ハリーがExpecto patronumを発動し、過去の自分をディメンターから救った場面。
ぎりぎりの土壇場で守護霊の具現化に成功した理由が秀逸だった。
なぜそんな上級魔法が使えたのか?と驚きを隠せないハーマイオニーに対し、ハリーは次のように答えている。
"I knew I could do it this time,"(中略)"because I’d already done it … Does that make sense?"(438ページより)
つまり、実際に一度その場面を目の当たりにして、できるのがわかっていたからできたのである。
それまでExpecto patronumを唱えるときは毎回必死に「幸せな記憶」を思い浮かべていたのに、最後は何の雑念もない。
結局、ハリーがディメンターに打ち勝つために必要だったのは、単純に自分を信じる強い心だったのだろう。
さいごに
『Harry Potter and the Prisoner of Azkaban』は、ハリー・ポッターのシリーズ最高傑作との呼び声が高いらしい。
僕の母も「ハリー・ポッターは3巻目までが面白い」と言っている。
たしかに今のところは同感だが、4巻目以降にも期待する。
どの巻が一番なのかは、自分の目で最後まで読んでから判断しようと思う。