南杏子さんの『サイレント・ブレス』を読んだ。
この小説は、在宅患者の訪問医療スタッフとして働くことになった女性医師を主人公にした連作短編。登場するのは死期の近い患者ばかりだった。
終末医療を描いた作品はたくさんあるが、『サイレント・ブレス』の特徴は、その「現場感」だ。
たとえば、二宮敦人さんの『最後の医者は桜を見上げて君を想う』は、話の作り方がうま過ぎて、きれいな「小説」だな、と思った。(これはこれで傑作)
一方で、『サイレント・ブレス』は、ミステリとしての体裁は取っているものの、デビュー作ということもあってか、文章がどこか愚直な印象で、作者は小説家である前に医療従事者であるのだということがありありと伝わってきた。
正直、地味な話ではあるけれど、死に際して無駄な盛り上がりがないところが現実的で、いい味を出している。
ちなみに、解説によると、南さんは30歳を過ぎてから医師となり、勤務の傍らカルチャーセンターで小説を学び、55歳で作家デビューしたそうだ。
たしか、宮部みゆきさんもミステリの講座に通っていた。
小説は個人が独学で書くのが主流なイメージだったが、資質と情熱があれば、誰かに教わることで得られるものも大きいのかもしれない。
サイレント・ブレス 看取りのカルテ (幻冬舎文庫) [ 南杏 子 ]
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最後に残るのは思考能力
2話目の「イノバン」では、筋ジストロフィー患者である青年、天野保が登場した。
保の明るいセリフは強がりではなく本心からの言葉だというのが、なんともけなげでジンときた。
筋ジストロフィーと聞くと、似たような病気のALS(筋萎縮性側索硬化症)を思い浮かべるが、両者は微妙に性質が異なるらしい。宇宙兄弟に出てくるシャロンや、車いすの科学者として有名なホーキング博士はどちらもALS患者だ。
単なる僕の偏見かもしれないけれど、筋ジストロフィーやALSの患者には、物語の世界でも現実でも、周囲を驚かせるくらい行動力や意志力に溢れた人が多い。
やはり、明確に死を意識することで、生きることに対する心構えが変わるのだろうか。
僕は以前、クローン病をこじらせて寝たきり状態での入院を経験したが、たとえ極度の栄養失調に陥り、自力で枕から頭を上げられないほど筋力が落ちても、思考は続く。
当時はリハビリをしてもなかなか体力が戻らずもどかしかった。しかし同時に、人体における脳のしぶとさに感心した。
筋ジストロフィーやALSの場合も、体の自由が徐々にきかなくなっていくのに対して、頭の働きは正常なままだそうだ。
となると、最後まで生きることに希望を見出せるかは、「考える」こと自体を楽しめるかどうかにかかっているのではないだろうか。
運よく病気にならなくとも、年を取れば、身体機能の低下は避けられない。
意識ある限りは強く前向きに生きられるよう、今のうちから知的な営みを大切にしていきたい。