テレビでM-1グランプリ2022の決勝を見た。
ファイナリスト3組のネタについて、個人的な感想は以下の通りだ。
ファイナリスト3組のネタについて、個人的な感想は以下の通りだ。
・ウエストランド
同じ形式で1本目より2本目のネタを面白いと感じたのはミルクボーイ以来。僕の中ではウエストランドの2本目が今回のM-1の笑いのピークで、終わった瞬間彼らの優勝を確信した。「M-1にあってR-1にない」に対する「夢!」のタイミングが完璧過ぎて笑った。
・ロングコートダディ
・さや香
僕は男女関係もののネタがあまり好きではないのでそこまで笑えなかった。(完全に好みの問題)
SNSの発達した今の社会だと「ネタをやっている芸人が叩かれるのではないか」というハラハラ感も笑いに水を差す。
悪口芸は言葉の威力ゆえに、落ち着いて見ること自体が難しいのだ。
ところが、井口さんの毒舌の場合、そうした余計な感情が、全く生まれてこない。
悪口を言われた当事者たちも心に深い傷を負うことはないだろうと思えるし、彼自身がネットで炎上して病んでいく姿も頭には浮かばない。
これはきっと、井口さんの醸し出す独特な「小物感」のおかげだろう。ひたすらに並べ立てられる小言からは、悪意や嫌らしさを微塵も感じない。
見た目なのか、しゃべり方なのか、生まれ持った資質に磨き抜かれた話芸が合わさって、気兼ねなく笑える空気感を演出している。
悪口漫才が成り立つ「場」を構築する術をウエストランドの2人は持っているのだ。
本当は、お笑いに分析なんて必要ない。
楽しい時間を届けてくれたすべての芸人さんへ、感謝の気持ちを伝えたい。
・ロングコートダディ
1本目のマラソンのネタが面白過ぎて、2本目に物足りなさを感じてしまった。個人的には「映画村」のボケがちょっと弱いように感じた。
・さや香
僕は男女関係もののネタがあまり好きではないのでそこまで笑えなかった。(完全に好みの問題)
今回のM-1はレベルが高く、素直に「面白い」と思えるネタが多かった。普段はご飯を食べたらすぐテレビを離れるところを、10時まで粘って生で見た甲斐があった。
審査員に関しても、重鎮の2人が入れ替わったことで、以前より穏やかな気持ちでコメントを聴けるようになった気がした。
最終結果は、僕の感覚と同じく、ウエストランドの優勝で文句なし。
終わったばかりなのにもう来年のM-1が楽しみになるくらい、テンションの上がる大会だった。
井口さんは「分析なんていらない」と言っていたが、せっかくなので僕の個人的な見解を以下に書く。(あくまでも素人の主観です)
毒舌ネタで笑いを取るには、共感させるか、ツッコませるかの2つのパターンがある。
前者は、世間の人々が薄々感じていることを言語化することで共感をさそう。いわゆる「あるあるネタ」と同じく、見ている側が「あーそれ、わかる!」と思うことで笑いになる。R-1に出てくるピン芸人はこのタイプの芸風が多いように感じる。
このような共感型の場合、悪口の内容が自分の感覚とずれると、途端に笑えなくなる。「ただの個人攻撃じゃないか」「それは一面的すぎるだろ」などと感じてしまうと、面白いどころではなく、不快感すら覚える可能性がある。
これを実現しているのは、河本さんの穏やかになだめるようなツッコミだ。
一応ツッコんではいるものの、声を荒らげたり細かい説明を加えたりはせず、井口さんの悪口に対する共感の気持ちを邪魔しない。「それ、確かに」と思ってしまう自分を許してくれる懐の深さがあるのだ。
一見地味に見える河本さんのポジションだが、彼が前に出過ぎないおかげで、見る側の肯定と否定、どちらの気持ちも生かされる。
毒舌に共感しても笑えるし、ツッコんでも笑える。ウエストランドの悪口漫才はある意味最強の芸なのかもしれない。審査員に関しても、重鎮の2人が入れ替わったことで、以前より穏やかな気持ちでコメントを聴けるようになった気がした。
最終結果は、僕の感覚と同じく、ウエストランドの優勝で文句なし。
終わったばかりなのにもう来年のM-1が楽しみになるくらい、テンションの上がる大会だった。
悪口なのに笑えるのはなぜ?
個人的な好みとして、僕は悪口を言って笑いを取るような芸風が好きになれない。毒舌系のネタが始まると、家族の間でも不穏な空気が流れてしまう。
しかし、今回優勝したウエストランドのネタは、悪口全開にも関わらず、とても楽しく見ることができた。
家族全員大爆笑で、「毒舌ネタなのになんでこんなに笑えるのか?」と、親きょうだいと理由をいろいろ考察した。
しかし、今回優勝したウエストランドのネタは、悪口全開にも関わらず、とても楽しく見ることができた。
家族全員大爆笑で、「毒舌ネタなのになんでこんなに笑えるのか?」と、親きょうだいと理由をいろいろ考察した。
井口さんは「分析なんていらない」と言っていたが、せっかくなので僕の個人的な見解を以下に書く。(あくまでも素人の主観です)
共感させるか、ツッコませるか
前者は、世間の人々が薄々感じていることを言語化することで共感をさそう。いわゆる「あるあるネタ」と同じく、見ている側が「あーそれ、わかる!」と思うことで笑いになる。R-1に出てくるピン芸人はこのタイプの芸風が多いように感じる。
このような共感型の場合、悪口の内容が自分の感覚とずれると、途端に笑えなくなる。「ただの個人攻撃じゃないか」「それは一面的すぎるだろ」などと感じてしまうと、面白いどころではなく、不快感すら覚える可能性がある。
一方、後者では、あえてステレオタイプな見方を強調したり、誇張した表現をしたりして、「それは言い過ぎだ(笑)」と視聴者に心の中でツッコませる。コンビ芸人では実際に相方がツッコむことで笑いを取る。その場合、ツッコむ側の感覚が観客の感覚と一致していないと笑えない。
ウエストランドの悪口漫才は、見ている側が、共感もできるし、ツッコみもできる、ハイブリットな芸だと思う。
これを実現しているのは、河本さんの穏やかになだめるようなツッコミだ。
一応ツッコんではいるものの、声を荒らげたり細かい説明を加えたりはせず、井口さんの悪口に対する共感の気持ちを邪魔しない。「それ、確かに」と思ってしまう自分を許してくれる懐の深さがあるのだ。
一見地味に見える河本さんのポジションだが、彼が前に出過ぎないおかげで、見る側の肯定と否定、どちらの気持ちも生かされる。
嫌らしさのない小物感
毒舌系のネタが笑いづらい原因として、安心して見れない、という点がある。「誰かが傷つくのではないか」「怒るのではないか」と考え出すと、素直に笑えなくなってしまう。SNSの発達した今の社会だと「ネタをやっている芸人が叩かれるのではないか」というハラハラ感も笑いに水を差す。
悪口芸は言葉の威力ゆえに、落ち着いて見ること自体が難しいのだ。
ところが、井口さんの毒舌の場合、そうした余計な感情が、全く生まれてこない。
悪口を言われた当事者たちも心に深い傷を負うことはないだろうと思えるし、彼自身がネットで炎上して病んでいく姿も頭には浮かばない。
これはきっと、井口さんの醸し出す独特な「小物感」のおかげだろう。ひたすらに並べ立てられる小言からは、悪意や嫌らしさを微塵も感じない。
見た目なのか、しゃべり方なのか、生まれ持った資質に磨き抜かれた話芸が合わさって、気兼ねなく笑える空気感を演出している。
悪口漫才が成り立つ「場」を構築する術をウエストランドの2人は持っているのだ。
さいごに
久しぶりに見たM-1が面白過ぎて、つい熱く語ってしまった。本当は、お笑いに分析なんて必要ない。
楽しい時間を届けてくれたすべての芸人さんへ、感謝の気持ちを伝えたい。