クラスメイトへの手紙

中学3年生の終わりごろ、クラスのみんなに手紙を書く企画があった。手紙は先生が自分宛ての分をまとめてリボンで綴じ、卒業式の日に卒業証書と一緒に渡してくれる、という粋なはからい。自分以外のクラスメイト一人につきに1枚ずつなので、合計で30枚ちょっと。人数分の便箋が配られた。

僕は深く考えることなく、すべての手紙に「1年間ありがとうございました」と書いた。「1年間」の部分は送る相手と知り合った時期によって3年間(中一のとき同じクラスだった)や6年間(小学生の時からの同級生)などと書きかえた。あとは、「○○くん(さん)へ」、「○○より」と、相手と自分の名前を記して完成。何回か道徳や総合学習の時間が潰され手紙を書くための時間として割り当てられたが、早々にすることがなくなり暇だった。

卒業式の日、クラスメイトからの手紙を受け取った僕は、中身を見て驚いた。ほぼ全員が便箋いっぱいに文章を書いていたのだ。日ごろの僕の言動に対する感想、これまでの僕との接点、将来への激励。中には短めの手紙もあったが、どれも使い回しの定型文ではなく、ほかならぬ「僕」に向けられた言葉だった。

手紙について、僕はてっきり、転校するクラスメイトに向けた寄せ書きのように、一言コメントをすればよいのだと思っていた。サボろうなどという意図は全くなく、自分の中では真面目に別れの挨拶を書いたつもりだった。だからこそ、みんなからの温かく気持ちのこもった言葉を目にしたときの「手紙ってそういうことか!」という気づきの衝撃は相当なもので、今でもあの、一瞬で世界の見え方が更新されたかのような、ハッとした感覚は忘れらない。

手紙を受け取ったクラスメイトたちは、僕からのたった一文の手紙を見て、どのような感情を抱いただろうか。みなが丁寧に文章を紡いでいる中で、余白だらけの僕の手紙は完全に浮いていたはずだ。「冷たいやつだな」と軽蔑されたならまだマシだ。100パーセント非は僕にあるのでしょうがない。もし「自分は○○君に嫌われていたのか……」などといらぬショックを受けている人がいたら、大変申し訳なく思う。できることならすべての手紙を回収して書き直したかったが、状況に気づいたのは卒業式から帰宅後。もう「適当に書いてごめんね」と冗談交じりに謝るチャンスすらなかった。

今こうして書いているブログにも、あの頃の「もっとちゃんと文章を書いておけばよかった」という後悔が少なからず反映されていると思う。

想いは書かなければ伝わらない。

次に手紙を書く機会があれば、最低でも2行以上は書くつもりだ。


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