【50音エッセイ】第4回 「英語学習」について

50音順にテーマを決めて、エッセイを書いていくコーナー。

第3回は「え」の「英語学習」について。


「英語学習」について

このブログのメインテーマは読書と英語学習のはずだった。しかしここ最近、趣味と呼ぶのが憚られるほどに、英語学習に割く時間が短くなっている。忙しくなったとかそういうわけではない。今回はその理由を述べていく。(なお、読書は今もトップギア)

最初に結論を書くと、気持ち的な問題として、自分の中に正しさの判断基準が育つ実感がなくて虚しくなってきた、というのが大きい。

前提として、英語には国際共通語としての英語と、アメリカやイギリスのネイティブたちが話す母国語としての英語がある。前者はいわばコミュニケーションツールとしての英語で、意思疎通が目的。重要なのは相手に伝わることで、国籍は関係ない。

一方、僕の英語学習の目標は海外ドラマや洋書を元の言葉のまま楽しむことで、学ぶべきは後者。ネイティブの英語は当然ながら彼らの文化や生活習慣と切り離すことができず、何が正しくて、何が誤っているのか、究極的には本人たちにしか判別できない。

例えば日本語で書かれた文章であれば、「本来使わない言葉だけど、あえてこの言葉を使っているんだな」とか「大げさな表現なのは遠回しな皮肉だろう」とか、細かいニュアンスまで汲み取ることが可能。自らの審美眼をもとにして文章の良し悪しをジャッジすることもいちいち意識せず自然に行える。

しかし、これが英語になると、話が変わる。見慣れない表現に出会ったとき、なぜその言葉を選んだのか、どこまでの飛躍が許されるのか、自分の言語感覚だけでは判断できないことが非常に多い。そのような場合、ネイティブがどう考えるかを知らないともやもやして先に進めず、どんなに頑張って勉強しても自分は所詮「非ネイティブ」なんだな、と一抹の寂しさが心に積もる。

もちろん、最初からネイティブみたいに英語を使いこなせるとは思っていないし、外国語だからこそ面白い発見がある。ただ、それなりに勉強すればもう少しくらいネイティブの感覚が身につくのではないかと期待してもいた。たぶん実際に海外に行ったりネイティブと交流したりすれば話は違うのだろうけど、僕にはそんな元気はない。

年を取ったり病気で体力が落ちたりして、段々と新しいことを楽しむ余裕がなくなってきた。言語に関しては、なじみのある日本語をしっかり噛みしめていければ、それで充分なのかもしれない。半分諦めのような悟りが、僕を英語学習から遠ざけている。

とはいえ、図書館で英語雑誌を眺めるのは好きだし、毎年『Diary of a Wimpy Kid』の新刊が出るのも楽しみにしている。今後は無理のない範囲で細々と英語に親しんでいこうと思う。

将来何かの役に立つかも、みたいな淡い期待は完全に捨てた。大切なのは、実用性より自分の笑顔。


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