【50音エッセイ】第5回 「大谷翔平」について

50音順にテーマを決めて、エッセイを書いていくコーナー。

第5回は「お」の「大谷翔平」について。


「大谷翔平」について

野球は父がテレビで見ているのを一緒に眺めることがあるくらいで、特に関心はない。ただ、たまには無関心層が大谷翔平について語る文章があってもいいのではないかということで、今回はテーマに選んでみた。

同世代の大谷翔平の姿を見て最初に思うのは、健康でいいなあ、ということである。野球の才能とかお金とかよりも、よく食べてよく眠れる体を持っていることがうらやましい。肉体のコピーを譲ってくれたらとてもうれしい。

しかし、大谷翔平になりたいかと問われると、それはちょっと違う。彼のように全世界から注目されることは、僕にとってはまともに生きていけないレベルの重荷。この世のほぼすべてを手に入れている大谷ではあるが、現代社会において最も貴重な財産ともいえる匿名性は失っている。

エベレストの頂上から麓を這う虫の姿が見えないように、たとえネット上に公開したとしても、大谷がこの文章を読むことはまずあり得ない。一方、野球に興味がない僕のような人間ですら彼の顔とフルネームを知っていて、「また大谷のニュースか」などとため息をつく。まるでマジックミラーの中で生活しているみたいな情報の非対称性。想像しただけで息が詰まる。(勝手なお世話過ぎる)

この記事を書く少し前、大谷は日本人選手の連続最多出塁記録を更新した。野球の表面しか知らないと、選手のすごさは記録を通じてしかわからない。そして記録は伸びていくものだと当たり前のように信じ、後退すれば落ち目だと嘆く。しかし、大谷は裏切らない。過剰な期待も悠々と乗り越えてくる。ひたすらに転落を続け、奈落の底にたどり着いた僕とは正反対。書いてて悲しくなってくる。

僕と大谷翔平に共通点があるとすれば、過去に一度だけ「お~いお茶」に俳句が載ったことくらい。もし本当にいつの日も大谷翔平のそばにお茶があるのなら、奇跡的に僕の俳句を目にしているかもしれない。また肩を並べられるように、頑張って俳句を考えよう。

というわけで、最後に一句。